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February 17, 2008

2/17(日)

「視覚伝達」なんて
目が見える人を前提とした伝達でありコミュニケーションなのであって
「そんなものは五感の中では一部に過ぎない」なんて考えたりする。
しかしながら「自分の視覚が閉ざされたらどうなるだろうか?」と
そうなったことを想像しては怖くなったりする。

文字が読みやすいとか読みにくいとか
どうでもいいかもしれないし
とても大切だったりするし。

やさしく分かりやすい日本語を使い
正面を向いて相手に届くようにはなすことを
先に身につけた方がいいようにも思う。

数年前まで人前ではなすことが苦手で対人恐怖症手前だった男が
(今は人前ではなすこすも平気になった)
日々のグラフィックデザイナーとしての仕事では
「この書体をこう組めば読みやすいだろう」とかなんとかやっている。
今は「和文書体でゴシック体はやはりあの書体がいいな」なんて
いい書体を見てはひとりうっとりしているフェティシズム男だったりする。

さて

立っている場所によって
見方や捉え方は180度変わるものだから
何かやるときは、その時々の自分の視点を持つことが必要だと思う。
それに、いろんな考え方に耳をかたむけることができる
柔軟なこころも必要だ。

ひとつの世界、または分野といわれるものの中にとじこもった生き方はしたくない。
近視眼的な見方や判断しかできないようなかたい頭になんかなるもんかと思う。
いろんな世界をつなげてもいいじゃないか。
どんな分野でも通じ合う部分が流れていると必ず感じるから。

何がいいたいのか。
時間差で頭の中ではすでに自己完結で終わりそうだが
それでも何かをかたちにする、何かをつくることはしたい。
そのために生きているのではないかと思うのです。

まだまだ全然足りないのです。

見つけたいものがみつかりそうなところまできている
気がするのです……

 

ここから続き

投稿者 fumitoku : February 17, 2008 05:01 PM

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