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May 26, 2007

5/26(土) はれ

府中市美術館「子どもの目で見るてんらんかい」に娘を連れて行く。
「子どもの目」ではなく「大人が考えた子どもの目」だった。
「子ども」といっても、どのくらいの年齢のことなのか。
主要な対象は小学生中学年くらいか。
企画する側は、子どもということばの定義を考えるだけでも大いに悩めると思う。
「こども向け」「大人向け」という2種類のガイドブックをよみながら
展示をみていくという企画らしいが、このガイドブックがあることで
逆にみかたが限定されて不自由になってしまった、と感じた。
「子どもの目」って何? 企画した人たちにたずねてもよかったが、その気も起こらず。
小学生団体がみに来ていたが、滞在時間はほんの数分だった。
引率の教師は、騒ぐ生徒が気になるようで、監視スタッフにも変に気を遣って
作品をじっくりと見せようとしなかったのも、どうかと思った。
素通り状態。なんで連れて来たの? って感じ。先生を選べない生徒も、運が悪い。
パリでもスペインでも見かける、美術館で子どもたちが作品の前に座って
先生や学芸員にいろいろと素直に感じたことをたずねるような
そのくらいのゆったりした光景が、今日の場所であってもいいと思う。
作品に向き合ってはじめて、何かを感じるし、そこから何かが生まれてくる。
作者が作品づくりについやした時間は、みる方がゆっくりみたといっても比較にならない。
ゆっくりみても、作品のことなんてよく分からないものだ。
表面的だといわれそうだが、分かろうとすることよりも、単純に“感じる”だけでいいとも思う。
松本猛さんの『ぼくが安曇野ちひろ美術館をつくったわけ』に書かれていることや
又聞きだが、ジブリ美術館のスタッフがおっしゃっていたという
「子どもの視点で展示を考えるというのは、それができたように思えてもできていないもので
実に難しいことなんです」ということばも思い出しながら、企画する側の視点でもみた。
どうしてかというと「子どもの視点」というのは、神沢利子展プロジェクトにも関係することだからだ。
司馬遼太郎『風塵抄』「コドモの力」にもあるように、大人の中に子どもの部分が残っていないと
子どもの視点で企画したつもりでも、大人の視点になってしまうのだろう。
それなら、小中学生を企画者として迎え入れて、なにかヒントをもらう方がうまくいくようにも思う。
辛口になってしまうが、おりこうさんにしていなくてはいけないという
“いつもの美術館の美術展”という感否めず、やや残念。
逆参考になった。

脱線するが「みる」ということばを漢字で書くと
「見る」「観る」「視る」などあり、ひらがなにしてしまうことが多い。
展示物をみる場合は「視る」かなぁ。どのようにみるか、による。

ま、展覧会はともかくも
夏のような天気の中、府中の森公園から多摩川沿いのママチャリサイクリングで
いっぱい太陽の光を浴びた一日でした。

 

ここから続き

投稿者 fumitoku : May 26, 2007 09:13 PM

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