« | メイン | »

April 17, 2006

4/17(月)夕方、娘を連れて代々木のバンフーに印画紙出力とカラー出力の受け取りとポジフィルムのスキャン依頼に行く。帰りに幡ヶ谷の「鍋屋」で夕食をとってラッシュの京王線で帰る。行きと帰りの満員の電車内は、人間味の無い不愉快で他人に無関心な顔ばかりで子どももそれを感じているのが分かる。子どもをかかえて優先席で譲られたことはほとんど無いし、譲ってもらいたい気持ちにもならない。そういう雰囲気ではない。少し前に事件から10年が経ったという、日中のホームでの大学生殴打殺害事件のニュースは、目撃者が100人以上はいたといわれているが、その中で名乗り出た人は数人で、ありえない感じもするが、事実その通りであって、他人なんてどうでもいいのだ。普段、そんな無関心は良くないと思っている人も、あのラッシュの異様な雰囲気の中では個人の意志が飲み込まれ消されてしまうんだ、と思う。どうしようもないのか。自分はサラリーマンではない。通勤なんて関係ない。それがいやで会社をやめて自力でなんとかならないか、ということで今があるともいえる。今、またいやな思いをしたくないから、ラッシュの電車はなるべく避けようと思った。人口密度は人と人のコミュニケーションの関係性にかなり影響する。何事も過ぎるのは問題なんだろう。
 よく、テレビドラマや映画のワンシーンでみる光景。子どもが寝ている横で、親が布団をかけてあげるシーンについて思うこと。実際、子どもは足で布団をけっとばしてしまう。知らない間に90度回転して寝ている。それを確かめた親は必ず布団を首元までかける。風邪をひかないように、ぐっすり眠れるように、と。だからテレビや映画のそのシーンの親役の気持ちが分かる。多分どの親も同じ気持ちだろう。同じ顔をするだろう。詳しくは知らないが、妻を死姦、子どもを殺された夫の気持ちを察すれば、死刑制度は人権侵害だから廃止するべきだなんていっているあの弁護士に怒りをおぼえる。その体験を自分の身に置き換えてから発言するべきだと思う。本来ならという考えはおかしいのかもしれないが、警察も、核兵器も世の中には必要ないはずなのに。自分が持っている価値、判断基準からはずれたものに出くわすと、不安になったり、魂がゆれる。でもいちいちゆれていてもしょうがない。理屈では無く、痛いものは痛いんだ。自分の中で大切なものを持つべきだ。魂の声に素直にみみをかたむければいい。

ここから続き

投稿者 fumitoku : April 17, 2006 12:00 AM