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March 31, 2006

3/31(金)早くも3月末。2006-年1/4が過ぎた。
 またこんなニュース。「1歳の男児揺さぶり死なせた容疑 里親の女逮捕 千葉」
 大きく分けて子どもは2種類の人間に殺害されることになる。ひとつめの人間は自分の親(または血の繋がりのある者)。もうひとつは全くの他人だ。ひとつめの場合は、子どもはその運命を恨むしかない。親は自分の過ちに気付き一生を悔いながら生きることになる。過ちに気付かない者もいるだろう。その場合は無駄死にだ。自分の親に殺されそうになって生きのびたという経験を持つ子どもはどうだ。自分の存在自体を否定された思いで生きていけるのか。それでも親に愛されたいと思うのか。私の場合、両親が私のことを殺す場面なんて想像できない。そんな親の元で生まれて幸せだと思う。ふたつめは人ごとではない。実際に24時間365日、子どもと一緒に居ることは不可能だ。ちょっと目を離した間に殺人事件は起きてしまう。デパートや遊園地などの外出先、学校内や登下校時(付き添った他人の親に殺害される場合もある)、子ども同士で外で遊んでいる間、などときりがない。防衛策をとっていても起こりうる。殺害された親は「何で自分が一緒にいて、守ってあげられなかったのだろう。ごめんね、ごめんね…」と、一生自分たちを責め続けることになるだろう。仕方のないことと他人になぐさめられても受け入れられないだろう。どうしたって、殺害された子は生きかえってはこない。
 生きていて大切なものは何かと考えることがある。大切なものは人それぞれだと思う。いろいろあっていいし、ひとつでもこれが大切だと言えればいい。逆にいけないことや悪いこともある。子どもが殺害されるなんて、起こってはならないことだ。そんなこと考えるまでもないはずだ。それを考えなくてはならない現在を私たちは生きている。今のニュースに慣れるな。みな、自分が子どもだったことを思い出せ。

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投稿者 fumitoku : March 31, 2006 12:00 AM