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April 30, 2005

第21回たまハイク

4/29(金)快晴夏日。秦野戸川公園口から水無川の上流へと進み、丹沢の山々に囲まれた大自然を心と身体で味わうハイキングに家族で参加する。
 メインイベントでもある昼食は、河原で「せり」などの野草をみんなで摘んで「野草鍋」と「野草サラダ」にして食べる。摘みたての野草の香りが違う。持ち寄った酒や肴も分け合って賑やかな光景である。昼食後は川沿いに山を登る散策となるが、娘が熱っぽいために私たちはここで帰路につくこととなった。
 見渡す限りの深緑。緑にもさまざまな色がある。そこかしこから聞こえてくる川のせせらぎ、鳥たちの声。爽やかな風と共に運ばれてくる木々や草、土の匂い。参加者はいつも30人は集まることと、このハイキングが21回まで続いてきた理由が分かる。企画された居酒屋のご夫婦には、いつも「もてなす」様を見させていただいています。

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引越まで二週間

4/28(木)マンション本契約のため調布の不動産会社へうかがう。

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April 27, 2005

仕事の合間に

4/27(水)午前3時から中野までゆっくりジョギング25分。帰りは歩きで。
 午後は仕事の合間に1時間ほど玉川上水緑道を散歩。白と桃色の花水木、藤棚、あやめ、つつじ、菜の花。どこまでも花びらの色と葉の緑色の対比が続く。
 「鍋家」で夕食。ここの女性スタッフはいつも娘を抱いてくれる。娘は木綿豆腐。中国では調理しない冷たい豆腐はあまり食べないらしい。「若鶏の唐揚げ」「豆苗炒め」「上海焼きそば」と「ウーロンハイ」。

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April 25, 2005

家族と一緒に散歩ができる日

4/23(土)桜が散った後は寂しいかときかれれば、いいえと答える。理由は、桜が散ると同時にそこら中の緑が一気に顔を出すからだ。どこを歩いても、都内にもこんなに木が植えられていたのかというくらいに緑が目に入ってくる。新芽には新たな力を感じる。この季節の緑は、精神的にも肉体的にも人にいい作用を与えるのではないか。
 またも家族で野川公園へ。どこも緑。草や土、いろんな匂い。ゆったり気持ちよく散歩。この日は日比谷公会堂で拉致被害者による集会が行われた。私みたいに平和ぼけの休日をのんびり過ごしている日本人がいる一方で、日比谷には拉致問題が他人事ではなく日本人全ての問題として受け止められる人たちが6000人も集まった。「我が子が拉致被害に遭ったら」は被害に遭っていない者にとっては想像しても痛くない想像の範囲で終わってしまう。野川にもたくさんの家族が訪れていた。「家族と一緒に散歩」この当たり前にできると思われることすら叶わない家族がいることは確かだ。他人事では済まされない。ひとりの人間としてできること、デザインの分野でできることを問う。
 帰りに中野アーケード少し入るとある「さらしな総本店」北口店へ。「湯葉」「そば豆腐」「ふきのとう胡麻和え」「鴨焼」「若葉そば」「桜切り」と「ほらふき」。

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April 15, 2005

「IDEA 310」オススメです

4/14(木)「IDEA 310」を読む。1995年から2005年の「日本のタイポグラフィ」の大特集。眺望するというくらい壮大な資料である。巻末に掲載デザイナーの言葉を読むことができるのがうれしい。掲載されたデザイナーの作品群には、それぞれのデザイナーの立脚点や想いが感じられる。言葉を読めばなおさらである。面白いのは、デザイナーによって「タイポグラフィ」という言葉の捉え方が違うということが分かる点である。その違いは何を意味するのか? タイポグラフィに携わる者として考えさせられる。
 「日本のタイポグラフィ」は2年前に興味を抱いたまさに私のテーマでもある。私にはまだ実績はほとんど無いに等しい。少なくともこの先10年は時間がかかると思うが、日々の実践の中でひとつひとつ自分の考えをかたちにしていきたいと思う。自分が持つテーマをかたちにすることが、公共性のある仕事や、人と社会に貢献できる仕事として繋がることができれば言うことはない。生きていることを実感できるだろう。

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April 12, 2005

どうしたらいいのか

4/11(月)ここのところの中国の反日デモには危機感と恐怖をおぼえる。日本と中国の温度差を感じる。日本語のタイプデザインで避けて通れない「漢字」の本家本元は中国である。いつか石碑を直に見たいと思っているが、今の状況がこの先も続けばと思うと中国に行こうとは心からは思わない。タイプデザインどころではない。命にかかわる問題だ。日本に在住の中国の人を何人か知っている。学生時代のアパートの隣に住んでいた同い年の男性や、今住んでいる近所の飲食店に勤めている女性たちなど。彼や彼女たちは現状をどう感じているのだろうか? それより私たちはどうすればいいのか?
 今のところ私は自分の家族のことを考えることでやっとである。先ずは自分自身を叱咤激励しながらもてなすこと。そして自分に一番近い存在である家族をもてなし愛すること。みんなが同じように考えれば破壊や争い事は減ると思う。単純なことだと思うのだが、実際は国によって歴史、宗教、教育の違いがあり価値観どころか感じ方が全く異なる場合もある。まだまだ私はインターナショナルなデザイナーになるにはほど遠い。

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娘が取り持つ縁

4/10(日)マンションの上の階の家族来訪。初産で同い年の子を持つ者同士ということで、自ずと子の話題となる。日々の生活の様子など情報交換あれこれ。地域のコミュニティの付き合いを持つまでには至っていないが、子が取り持ったお付き合いというものもあるということ。不思議な気分であり、娘には感謝したい。
 先日のテレビの話。細木数子さんの「住んでいる土地を愛すること」「仕事を愛すること」「家族を愛すること」そこから男の人生が始まるという言葉にはなるほどと頷けた。これからの子の成長を考えて引越す訳だが、果たして次の土地を愛することができるだろうか? 住んでみなくては分からないが、今までにないスピードで引越先の物件が決まったということは、何かの縁と捉えたい。何より野川のたたずまいには心が落ち着く。のんびりと散策できることを思うとニンマリしてしまう。それでいい。

「クラッカーにチーズとツナのムース」「温野菜サラダ3種ドレッシング」「カチャトーラ」「若鶏とグリーンアスパラのトマトソーススパゲティ」「メカジキのスパイスヨーグルト焼き」「イチゴ」「お土産にいただいたシュークリーム」

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April 07, 2005

住む場所

4/6(水)晴れ。5月の陽気。引っ越し先物件の窓枠を採寸しに家族で出かける。その後、野川公園を散歩。近くにこんなにのんびりできる場所があることに喜びを感じる。
 高校を卒業後、上京して9年間北千住は荒川の土手沿いに住んでいた。よく土手でのんびりしたものだ。私の場合、住む場所というのは幼少時代暮らした環境に似た環境を求めるようだ。その環境とは、近くに川があること。川を求める理由は、単純に川が好きだからということもあるが、川を取り巻く空間に、水や空気の流れを感じて心地良いからだろう。ついでに一言。逆の意味の停滞は何事にもあてはまるが良くないこと。
 現在住んでいる幡ヶ谷・初台周辺には約7年間住んだことになる。地域コミュニティの付き合いというものはほとんどないが、飲食店で働く人達やその客とのつながりと子を持つ親同士のつながりを持つことができた。今後もこの関係は続けていきたい。ここは大人二人で暮らすにはとても便利な場所だと思う。しかし、子の誕生により判断基準ががらりと変わった。子はどこででも育つかもしれないが、果たしてこの場所は子が成長しながら暮らす場所として本当に相応しいのか? 自動車、排気ガス、歩きタバコの危うさ。身体がリラックスできる自然の存在の有無。などなど…
 そう言えばこの場所は元々会社勤めに便利だという理由で選んだことを思い出す。今度住む場所は、子と共に家族で暮らしていくための環境を優先して選んだ。時が経たないと分からないことだが、子の感受性を育むのに良い影響を与えてくれることを願う。

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April 04, 2005

母の友と鶴の友

福音館書店の「母の友」5月号が届く。この本の紙面設計は素晴らしい。内容もためになるし面白い。いつもいい仕事だと感じています。
 打ち合わせの帰りに久しぶりにひとり「たま」に寄る。「釜揚げほたるいか」「自家製さば一夜干し」「自家製らきょう」に「鶴の友」上白二合。この酒処は夫婦で切り盛りしている。そのお二人に、私たちの引っ越しのことを知らせる。子供のためにはいいことだという言葉をいただいた。子を育てた親の言葉として受け止める。いつも人生の先輩として教わることが多い、この酒処は10年、20年先もずっとあり続けてほしい。
 今日一日で引っ越しの見積3社。価格が倍以上違うのはどういうわけか? あと1社で決着をつける。営業マンを比較するわけではないが、それぞれの運送会社の営業スタイルを見ることができて興味深い。あきらかに分かる営業トークはしらじらしさが見えてしまう。悪い参考例を見させていただきました。

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April 03, 2005

ライブはまた今度

4/3(日)昼食「納豆と豆腐スパゲティ」絹豆腐水切後手の中で潰してペースト状+納豆はたれを入れてかき混ぜる+しょうゆ+ゴマ油+酢+マヨネーズ+ブラックペッパーで調整。納豆は郡山のミドリヤ「みのり納豆」がお気に入り。やわらかくくせがない。やわらかく煮た大豆をたべているようで食べやすい。メンはディチェコNo.11で。

今日は晴れ。関東地方は多分花見客で賑わっているだろう。私は窓の外を眺めるだけ。
 matsuとAmikaちゃん、昨夜は友人2人が同じ日に出演するというライブがあったが、行くことができなかった。残念! 音楽に才能がある人や音楽に向いている人はうらやましいと常々思う。自分で詞を書いて、曲にして、唄う。演奏もしたりする。言葉の問題があるかもしれないが、国籍を問わず身体ひとつでどこででも表現できる。そして何かが伝わることもある。音楽はすごい。どちらが良い悪いの話ではないが、音や動きのない印刷物とは伝わり方が全く違うところが面白い。
 詞を書くなんて何だか自分の内側をさらけ出すようで恥ずかしい。でもこれも面白いかもしれない。テーマは無限にあり壮大な世界だ。数え切れないミュージシャンたちが数え切れないうたをつくる。自分の心に触れたものが自分にとっていいうたとなる。私はせいぜいカラオケを楽しむレベルで、坂本九さんのうたを唄うのが大好きです。

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日本の30代男

4/2(土)なるべく毎日の出来事や感想を記す「日記」にします。夕食は「飯にアサツキたっぷりみのり納豆」「野菜サラダ」最近お気に入りの「黒豆茶」は甘く飲みやすい。

仙台市アーケード街トラック暴走3人殺害男38歳、奈良小1女児殺害男36歳、愛知県安城市スーパー幼児殺害刃物男34歳……ニュースまたは新聞は、新しい出来事・新しく聞いた話・新しい知らせという意味だが、新しいというよりまさに今をあらわしている。日本の30代の男は一体どうなってしまったのか。多発している幼児虐待も同じこと。自分をもてなすことができない。他人をもてなすなんてとんでもない。そこまではいいが、人を傷つけたり人を殺すなよな。韓国ドラマが今の日本で受け入れられている理由が分かるような気がする。テレビドラマの中の世界かもしれないし、人によるかもしれないが、韓国の男性像はシンプルだ。何が大切かががはっきりしている。特に日本女性は韓国男性の大切なものを守る姿、強さややさしさに惹かれ、韓国ドラマが受け入れられているのではないだろうか。自分の旦那と比べて、ないものを求めているように見える。日本の男性像とは? 男は黙って何とかというが、黙っていても仕方ないように思う。拉致問題についてみれば分かることだろう。日本の政治家は…となるわけだが、政治家も民間人も同じだ。今の日本の男性像は決していいものではない。とは言え、もちろん魅力のある人も大勢いるだろうし悲観しているわけではない。少なくとも自分より弱い者を破壊するなと思う。できれば強い者に向かっていけよと言いたくなる。
 自分も30代だ。そのまま口にすると恥ずかしい言葉だが、もっともっと強くやさしくなりたい。私の場合、一番小さいコミュニティである家族に目を向けることから始めよう。良し悪しの自分の判断基準を持つことが大切だと思う。喜怒哀楽がはっきりしていても構わない。許せないことがあればおおいに怒ることがあってもいいし、悲しいことには泣いてもいい。でもできれば周りの人達と一緒に笑っていたい。

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April 02, 2005

グラフィックデザイナーである前に

4/1(金)夕食は来客Mさんとともに「若鶏と芽キャベツのトマトソーススパゲティ」「水菜・さらし玉ねぎ・ズッキーニ・プチトマトのヨーグルトドレッシングサラダ」「小アジ南蛮漬」「豆腐屋の豆腐入りシュウマイ」差し入れの酒「染井櫻」で。

昼過ぎに白金台にて打ち合わせ。その後数年前から行こうという気だけでそのままになっていたD&DEPARTMENTに家族三人で立ち寄った。D&DEPARTMENTといえばナガオカケンメイさんである。4、5年前に読んだデザイン雑誌のナガオカさんの対談記事を思い出す。ナガオカさんが会社勤めのグラフィックデザイナー時代に、ポスターをつくることができなくなってしまったというエピソードのことを。実は私も同じ様な経験をして一度グラフィックデザインに興醒めした身である。
 学生時代に、あるグラフィック年鑑の審査会のアルバイトに誘われて、応募されたポスターなどを会場の床一面に並べる作業をしたことがある。応募作品の中には自主制作ポスターもある。その内容は「環境問題」や「人権問題」がテーマになったものが見られた。ここで疑問が湧いた。例えば環境について問題提起をするならば、そのポスターの作者は実生活においても何か行動をおこしているのだろうか? 次に、これらの自主制作ポスターは年鑑に掲載されることのみを目的につくられたのではないだろうか? となり、一気に興醒めした。もしそうだとしたら単純に悲しい。また同じ頃、良くもない商品を消費者に買わせてしまうというイメージ広告の存在に、グラフィックデザイナーも荷担していると感じてしまい勝手にダブルパンチをあびた気分になった。一体自分はなぜグラフィックデザインに興味を持ったのか、将来何を目指せば良いのがか分からなくなってしまったのである。学生だったこともあり頭が硬いというか、許容範囲が狭いというか、なぜか正義でなければ悪だと白黒はっきりさせないと気が済まない性格だったのが今となっては笑えるが。しかし一気に冷めたことは事実だ。
 グラフィックデザインに興醒めした後は、CG制作会社に就職。続かず次にフリーター時代(バーテンや電気屋)、ポルノ出版社編集、複数のデザインプロダクション勤めでやっと社会復帰をして、今はフリーランスのグラフィックデザイナー。興醒めしたところに戻るのは変だと言われそうだが、自分ではこれが自然の成り行きだった。他のことをしてみて分かったことで、この世界が好きなのである。性に合っているのである。
 グラフィックデザインと言ってもさまざまで、普段仕事として企業から受注するコミュニケーションツールの制作という類のものがあれば、自分でテーマを持ってかたちにするものもある。後者こそ、これから私が向かう場所である。グラフィックデザインというカテゴリーの枠の中で語るものではないかもしれない。
 そのテーマとは? これまで有言実行型できたが、かたちにしてから発信することにします。ナガオカさんも最初の一歩を踏み出して現在に至った訳である。自分の言葉で語り、自分の意志で行動するという人間に。単純にこれでいいとうなずける生き方を。
 昨日、生活環境を調布周辺に変えることが決定した。近くには深大寺、野川公園、多摩川など。現在住んでいる幡ヶ谷も好きだが、もう少し心が落ち着き、情報量を少なくした場所に移り住む。5月中旬転居予定。後日お知らせいたします。

Posted by fumitoku : 12:00 AM

April 01, 2005

桜咲く

今日から4月。まさに「行く、逃げる、去る」という言葉通りに三ヶ月が過ぎ去った。
 今年も残り3/4ということだ。生活環境や仕事についての計画を立てる。昨年の我が子の誕生により、今までの生活環境を見直すことがきっかけで、今年は人との出逢いが多い変化のある年となりそうだ。私にとって子の誕生はまた、デザインの捉え方も変えるきっかけとなった。環境、プロダクト、グラフィックなどのカテゴリーにとらわれない、子供や高齢者の視点、つまりは自分にとっての「異者」への配慮が今後のデザインのテーマに加わってくるだろう。異者に対しての配慮がなされたデザイン活動が広がるということは世界が広がるということでもある。国際的なデザインができるレベルにまでいきたいものだ。しかし先ずは身のまわりのことや、日本についてテーマを持つというのが現在の私のスタンスである。
 今日あたり開花予想が遅れていた東京の桜もそろそろ花を咲かせるだろう。桜をながめる人の顔はみなほころぶ。私たちも桜のほころび効果を求めて出かけよう。

Posted by fumitoku : 12:00 AM